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私、適性がないかも・・?それでも○○がやってみたい!というときの心の持ち方について その2

さて今回は、前回の投稿「私、適性がないかも・・?それでも○○がやってみたい!というときの心の持ち方について」の続きです。

 

前回の記事はこちらです↓あ、読んだら戻ってきてくださいね。

blogmegumi.hatenablog.com

 

そもそも、なぜこのようなことを書こうと思ったかと言いますと、私自身が、「あー私やっぱり○○向いてないわ・・でもやりたい!」というような葛藤だらけで苦しかった学生時代~20代を過ごしたからです。今思えばあの頃は必要以上に自分を追い詰めすぎていたのです・・。

この、○○、に入る言葉は色々ありますが、私にとって一番葛藤が大きかった「○○」は、大学卒業した22歳の春、完全文系&ほぼ前提知識なしの未経験で飛び込んだシステム開発のお仕事&プログラミングだったと思います。
でも何だかんだ紆余曲折ありつつも、今もその分野でお仕事をさせて頂いていて「やっぱりあのとき挑戦して正解だったな」と思っています。

まあそこらへんのことはおいおい書いていくとして、今回は「適性がないかもしれないことに挑戦するとき、こんな心の持ち方をすると挫折しないで乗り切れるかも?」という心の持ち方について、つらつら書きたいと思いますのでお付き合いください。

それではひとつひとつ見ていきます。

独学・独習にこだわるのは程々にしたほうがいい

独学って、楽しいですよね。自分のペースで学べるし、自分のやりたいと思うことにどれだけ時間をかけても誰にも何も言われないし。しかもお金もそんなにかからないし。
何かを習得したり学んだりする楽しさを一番感じられるのは何の分野においても独学だと私は思っています。基本的には。

でも「結果を出す」ことや、「学んだ内容を活かして何かに役立てる」といった、アウトプットすることに狙いを定めた場合、指導や助言をしてくれる人(メンター)がいた方が効率が良いです。
努力の方向性が間違っていないかどうか、そのやり方で結果は出せそうかどうか、ということについて、客観的に意見を言ってくれる有識者がいたほうが道に迷いそうなときに軌道修正が早くできます。あとがんばったときに「よくがんばったね!」って言ってもらう、ということもモチベーション維持につながります。

そしてこれは「メンターがいれば誰でもよい」というわけでは当然なくて、メンターと自分との性格的な相性、指導内容と自分の生活スタイルが合うかどうかということはとても大事ですよね。例えば、

  • 通学がよいか通信教育がよいか?頻度は?
  • 目指すゴールはどこか(仕事にしたいのか、それとも趣味としての上達を目指すのか、等)
  • メンターとの性格的な相性はどうか?

というようなところの見極めが大事です。そこら辺を見誤ると、あれ?独学の方が良かったんじゃ・・?ということにもなりかねません。

まずは失敗しても許される環境を整える(極力人に迷惑をかけないようにしようという意識はあったほうがいい)

挑戦に失敗はつきもの。失敗なくして成功はありませんが、かといってむやみに失敗を重ねればよいというものでもないのが難しいところ。

例えば、

  • 自分の失敗によってすごく人を傷つけてしまったり
  • その失敗によって周囲からの信頼を失ってしまったり

そういう取り返しのつかない失敗に発展してしまうようなことがあろうものなら
私のようにメンタル弱めの人間はすぐ
「あああああ私、やっぱりこんなことやるべきじゃなかったんだあああああ・・」
となってしまい、挑戦する勇気・気力が喪失する可能性もあるから。


というわけで、少しずつ段階を踏んで、成功体験を積んでいくということで、挑戦しても大丈夫!という安心感が育まれるのだと思います。

 

すでにその道で結果を出している人が考えた既存のアイディアに頼る

適性がない分野のことに関して自分なりのやり方で自分なりの努力を続けてしまうと、全然上達しないどころかやればやるほど後退していったりします。

「自分の頭でものを考えなさい」という人がいますが、なんでもかんでも自分の頭で考えてはいけないのです。適性がない場合や、その分野に対する知識や経験が足りない場合、何でも自分で考えていては大けがをするのです。
すでにその道で結果を出している人のやり方を、まずは受け入れてやってみるという素直さも必要です。
ちなみにここで参考にするべき「すでにその道で結果を出している人」ですが
間違っても、元々適性があって短時間であっという間に成果を出した人のやり方なんかを参考にしてはいけません。
参考にすべきは「出来るだけ自分とタイプが似ていて、かつ結果を出している人」であることが成功への近道です。

無理をしない

もちろん少しの無理は刺激もあって良いのですが、
あまり無理をして結果を出そうとしすぎる行為は、自分の精神状態を無視する行為になり、やがて挑戦することが辛くなってしまうでしょう。
まず楽しむことが大事なのであって、そこに楽しさが見出せず、それ自体をやめてしまうようなことになっては元も子もありません。自分を追い詰めることしか出来ないような無理の仕方はナンセンスです。

できなくて当たり前なので、出来なくてもいちいち落ち込まない

「私なんて全然だめ・・あれもできないしこれもできないし」
というようなネガティブ発言が多くなってしまうときの心理って
「ほんとうは私はもっと出来るはずなのに…」という自分への自信があることの裏返しでもありますよね。
下手に自分に対する自信があるせいで、その自信を失うたびにいちいち落ち込む羽目になるのなら、自信というものは必ずしも必要ではないということになります。

落ち込んでいる時間というのはなにも生み出しません。
落ち込んでいる時というのは、ただ停滞がそこにあるだけです。落ち込んでいるくらいなら何も考えずその時できることを少しでもできることをやる、という単純さが必要です。

 

「私こういうの向いてないから」に逃げすぎない。やればやった分だけ能力は向上するのが当たり前だから、昨日の自分と比べて少しでも成長していたら自分をほめる

  • 向いているとか向いていないとか
  • 適性があるとかないとか 

というのは、要は他人と自分を比べているからそのような発想が生まれるのであって、
他人のことは一旦置いておきましょう。
そんなことに関係なく、かつての自分から今の自分が成長していたら、「よくやった!わたしえらい!最高!!」くらいの勢いで褒めましょう。

たとえ誰も褒めてくれなくても!自分だけは自分の味方でいてあげましょう。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

人間、やはり向き・不向きというものがあるので、自分の適性というものが明らかになっている場合は、適性があることに情熱を注いだ方が圧倒的に「コスパがいい」のは確かです。だがしかし、コスパだけを求める人生というのもなんだか面白みに欠ける。

適性云々とは関係なく、単純に「あれ面白そう、やってみたいなー」という気持ちは何歳になっても大事にしていきたいです。

(興味の赴くまま何でもかんでも手を出していては時間が足りなくなるので、優先順位をつけることは必要ですが!)

そもそも、やってもいないうちから「自分はこういう人間なんだ!だからこれはたぶん向いていないんだ!」と思い込んでいる向き・不向きの分野って意外とあてにならない気もしていて、結局どれだけ情熱と時間を費やして、長く継続することができるかだな、なんてことを思う昨今です。