めぐみろぐ

思ったことを書きます

【部屋の片付けの話】いつも別れは少しせつない。でもあなたに出会えてよかった。

先日寝室の掃除機をかけようとしたところ、「ていうか部屋に、物が多すぎ!!」と思った。以前から物が多いことに気づいてはいたけれど気づかないふりをしていた。これ以上この違和感を放置しておくわけにはいかない!と決意した。


片付けというのは最初に方針を決めて、作業中は手を動かすだけにしておかないと「これどうしよう・・いるような気もするし・・でもいらないかな・・?」みたいな沼にはまりがちなので、最初に片付けの方針を考えます。


ちなみに私は「整頓」つまり「今そこにあるものを取り出しやすいようにセンス良く収納・ディスプレイする」ということがとても苦手。センス無し。なので、所有物の絶対数を減らさなくては、部屋は片付かないのです。


というわけで方針は「好きなものだけ残す」になった。言葉にすると実にシンプルだ。


しかしここで問題となるのが、この「好きなもの」というものの選別において「どこまでを【好きなもの】にカウントするのか」ということ。


「好き」という気持ちは諸行無常。私はこれが好き!と思い込んでいるだけで実はそうでもない場合もあるし、昔は好きだったかもしれないけど今はそうでもない場合もある。気持ちは、変わっていくのが自然なことなのだ。せつない。


「これどうしよう…好きといえば好きだけど、よく考えたらほとんど手に取ることもないし」みたいな曖昧な感情を発生させてくる物との関係は、潔く清算したほうが気持ちよく生活できる。それは恋人との別れと似ている。


ここで参考までに以下にいくつかの「異性との別れを決意する女性」のパターンをいくつか挙げてみる。


■パターン1
最初は「あの人のことが好き!好き好き好きー!!」って思っていたけどあれ?付き合ってみたら、なんかうまくいかない。私たち、実は価値観も結構違うみたい。あんまり気が合わないのかも。


■パターン2
ずっと側にいるのが当たり前になりすぎた恋人。「彼のこと好き?」と訊かれたならば「もちろん好きだよ」と答える。その気持ちは嘘じゃない。でもその答えがどこか惰性であることを心は知っている。そう、心の奥底では知っているのだ、あの頃の気持ちにはもう戻れないことを。何をしても2人でいるだけで何もかもがキラキラしていた、あの夏はもう戻ってこないのだ。


■パターン3
私が色々あって寂しくてしょうがなかったあの時期、彼が私のことを「好きです!」と言ってくれた。彼のことは、正直まったく意識したことなかったけど、私はその優しさに甘えて、付き合うことになった。でも長く付き合ううち、他の人の事が好きになっちゃった。他の人のことを思いながら、これ以上彼の優しさに甘えているわけにはいかないんだわ…!!


さて、片付けの話。
今回の片付けで、処分の対象となったのはざっくり以下のもの。

 

・「これ便利そう!」と思って買ったけど、よく考えたらそんなに使ってない物や、可愛い!と思って買ったけどよく考えたら着づらいとかあんまり似合わない服など
→これらはパターン1なのでお別れ(処分)。あの時、あなたを初めてお店で見かけてあなたを好き!って思ったあの瞬間が、私達のピークだったのかもね。私にキラキラした気持ちをくれてありがとう。さよなら!


・かつては私を熱狂させたり心を落ち着かせたり癒してくれた、文庫本やCDやDVDなど。もはやほとんど手に取ることがない。
→これらはパターン2に当てはまるのでやはりお別れ(処分)する。今までありがとうね。ほんとに楽しかった。またどこかで会えたらいいね。

 


・とりあえずその時は必要だったので購入して使っていたが、その後もっと高機能な商品を購入してしまい、今ではほとんど活躍の機会がない電化製品など

→パターン3。あの頃あなたを必要だった気持ちは嘘じゃないの。でもこのまま一緒にいても、お互い幸せになれないもんね。きっとあなたなら、あなたを私より大事にしてくれる人と出会えるよ!さよなら!


ちなみにここでいう「お別れ(処分)」は、リサイクルショップ、フリマ、古本屋などへ売ることや寄付も含まれます。

 


このような作業を1時間ほど続けたらとても部屋は片付き、たくさんの男を何股もしていた女が、結婚を機にすべての愛人関係を清算したときの気分になった。経験したことはありませんが。


今まで一緒にいてくれてありがとう。あなた達のことを、私、一生忘れない。私、新しい場所で、幸せになるからね!!


ちなみに何度も言うようですが、片付けの話です。

女子校に7年間通った私が考える、女子校の良いところと悪いところ

私は高校~大学時代の7年間を女子校で過ごしました。

という話をすると「え、お嬢様?」みたいな反応をされることがありますが、違います。
高校は公立でしたが、地元に公立の共学校が極端に少なかったので自然とそういう選択になりました。
大学に関しては、単に大学受験で第一志望の学校に落ちたからですね・・(遠い目)

 

まあ、そんなわけで特に深い考えもなく、7年間を女子校で過ごすことを選択したわけですが、結果として女子校での生活は、良くも悪くもかなり私の人格形成に影響を及ぼしたと思っています。
実感として「女子校でよかった!」と思ったこともあれば、「共学がうらやましい!」と思ったことも、どちらもありました。

 

まず、私が思う女子校のメリットについてです。

 

自立心が養われる

女子校には当然男子がいないので、一般的に「男子の仕事」とされがちな、重いものを運ぶとか、高いところのものを取るとか、機械の操作とか、そういうのも「あ、別に女子だけでどうにかなるな」という考えに、自然となります。
女性だからこれができないとか、男性に頼らないとこれはできない、みたいな発想が消えるということは、これからの時代を生きるのにとても良いことだと思います。

 

異性の目を気にせず過ごせる

学校生活において男子がいないので、何か行動を起こす時に「男子にモテるかどうか」「男ウケが良いかどうか」ということを気にする必要がありません。
自分がやりたかったらやるし、やりたくなかったらやらない。それだけです。とてもシンプルで良いです。
自分はどういう人で、何がやりたいのか、ということを考えるのには好都合です。


次に、こういう点はデメリットかな…と思う点です。

発想がおっさんみたいになる

異性を意識しない生活が長いと、「おしとやかさ」というものが損なわれます。もちろん女子校出身者でもおしとやかな人はたくさんいます。が、私はだめでした。

この辺は言葉で説明するのは難しいのですが、自分の中には確実におっさんが潜んでいるな、という瞬間が折に触れて訪れます。それは多分女子校生活が長かったせいかな・・なんて思います。
女子校出身者でやたらと男っぽい言葉遣いをする人というのは、このおっさんがより表面化したパターンだな・・と思っています。

男性というものへの認識が偏る

青春時代において、男子生徒との接触機会が少ない環境で学校生活を過ごすということは、その期間の「同世代の男子ってこういうもの」という認識が、共学校に通っている学生に比べて欠けるということを意味します。
人間よくわからないものに対しては警戒心を抱いたり、もしくはよくわからないので積極的に接触の機会を持とうとしたり、とにかく対応の仕方が不自然になりがちです。
また、同世代の男子の実態がわからないと、少女漫画やテレビドラマのような恋愛というものがこの世の中に実際に存在するのではないか?などという幻想を抱きがちなので、そうではないとわかったとき少なからずショックは受けますよね・・うん。

 

おわりに

他にもあるかもしれないけれどちょっと今は思いつかないので、私なりの所感をまとめますと、


・青春時代の一定期間、「男子からの視線」に振り回されないで過ごせる点は、女子校最大のメリット

・異性に対する認識は多かれ少なかれ偏るので「あ、自分は異性に対する認識が偏ってるなー」という認識は持っておいた方がいろいろ安心


といったところです。

もし将来自分の娘が女子校に行きたい!って言ったら、上記のようなことを話したうえで、「いいんじゃない?お母さんは女子校行ってたけど楽しかったよー!」と言うと思います。

もし息子が男子校に行きたいと言ったら…
うーん、わかりませんが、男の子ばっかりの中で過ごす楽しさというのもあるだろうし、自分のやりたいことを追求するって意味ではいいんじゃないの?と思うのですがどうなんでしょうか。
男子校出身の方のご意見も聞いてみたいです。

 

それではまた!

「なんでも自分でやりたい」の罠

3歳の娘は、家事のお手伝いが大好きである。洗濯物をたたむのも、みそ汁に具を入れるのも、卵をかき混ぜるのも、全部やりたい。そういう時期である。

本人が「やりたい!」と言っていたことを、うっかりこちらで済ませてしまおうものならもう大変。

「Nちゃんがあっ!Nちゃんがやりたかったああああー!!やりたかったあぁぁぁあああー!!(号泣)」

となる。

なんでも自分でやりたガール、と私は脳内で呼んでいる。

「自分でやりたい気持ち」と「甘えたい気持ち」と「できなくて悔しい気持ち」の間で揺れうごく彼女は我が娘ながらとてもかわいい。めっちゃかわいい。

かわいいけど、サポートする側はなかなか大変である。

こちらの時間に余裕がないと、つい「もう!こんなんじゃごはんの用意が進まないでしょー!あっち行ってテレビでもみてて!」とか、言ってしまう。
言ってしまったあとは、自己嫌悪というか、あーやっちまった、もっとやらせてあげれば良かったな…という気持ちになる。

と、同時に、まるで昔の自分をみているようだ。とも思う。
わかる、わかるよその気持ち・・。と思う。

 

私もずっと、「何でも自分でやりたい」の人だった。

 

私は子供の頃からマイペースで不器用だったので、
「なんでも出来ちゃう器用なひと」への憧れが常にあった。
将来の夢というようなものをはっきりと持てなかった代わりに、「なんでも出来る人になりたい」と漠然と思っていた。

例えばミュージシャンで言うと、作詞も作曲もやって、楽器も全パートやって、歌も歌っちゃう、みたいな、
そういう人に憧れていた。
それでこそ真のプロフェッショナルよ!くらいに思っていた。


私の「(できないくせに)何でも自分でやりたい」は大人になってからもまだしつこく続いた。

社会人になったばかりの新卒時代、仕事はぜんぜんできないくせに、仕事で何かわからないことがあってもなんでも自分で調べて解決しようとしていたし、自分でやりたかったし、自分でやることが正しいことだと信じていた。
だいぶギリギリまで粘って、最終的には「すみませんわかりません、教えてください」と聞きつつも、内心はそれは「負け」だと思っていた。

さぞめんどうくさい新人だったと思うが、当時の私の上司はとてもやさしく、あるときこう言ってくださった。

 

「自分でやることは大事だけど、わからないな、って思ったら聞いていいんだよ。5分調べて分からなかったら、口に出して分からないって言ってみて。そしたら何かしらアドバイスできるから。」

 

その時のなんとも言えない、居心地の悪さと安心感が混ざった気持ちは忘れらせない。

 

そうか、頼ってもいいんだ。

 

と思うと同時に、それまで自分を支えていた軸が揺らぐような感覚があった。

 

私の「なんでも自分でやりたい」は
「私を必要としてほしい」の裏返しでもあった。

「何にも出来ない私には価値がないから、何でも出来る人にならないと、人から必要としてもらえない。」

という、今思えば、かなり極端な考えが、私の中にはあったのだった。

 


その後も色々、色ーんなことがあって、

「ぜんぶ自分でできることが偉いわけじゃないんだ、人に甘えたり協力したりしながら、周りも巻き込んで進めて行く力が大事なんだ」ということや、

「人にはすんなり出来ることと出来ないことがあって、それは当然のことで、何ら恥ずべきことではない」
「分からなかったら分かる人に助けを求めればいい」

というようなことを、実感として受け入れるのに、時間がかかった。

 

そんなわけで、
いまは私の中の「何でも自分でやりたい私」は大分影を潜めたと自分では思っているけれど、もともとがそういう考え方の持ち主だったということは、
今もその後遺症はちょっと残っているって事なんだろうな、と思っている。

気をつけなくては。

と思うと同時に、人に迷惑をかけない(かけてもいい)部分で、自分の好き勝手にできる領域を作っておくということも必要だな、と思っている。

 

と、ここまで私自身のことに思いを巡らせたあと、
「何でもやりたガール」である娘のことを再び考える。

娘はこれから、どういう風にいろんなことを考えて、成長していくのだろう。
それはまだわからない。
わからないけれど、まずは本人のやりたいことを、命の危険がない範囲で、出来る限りやらせてあげる、というくらいしか、結局私には出来ることがないような気がする。

 

何事も、なんでも自分で全部やってみないことには、自分がどこまで出来るのかわからないし、失敗から学ぶこともできない。何が得意で何が不得意なのか、何が好きで何が嫌いなのか、わからないまま大人になるということは、とても不安なことだと思う。

 

というわけで、
まずは、つい「もう!こんなんじゃごはんの用意が進まないでしょー!あっち行ってテレビでもみてて!」
をできるだけ言わないで済むように、大らかな心で過ごすことと、完璧を目指さないことを念頭に、日々の細々としたことを進めていきたいと思うのでした。


長々と、まとまらない投稿にお付き合いいただきありがとうございます。

それではまた!

「結婚って何?」と息子に聞かれたので、結婚について考えた

私と夫は今年で結婚10年目になる。

パパとママは結婚して10年になるんだよ、と5歳の息子に言ったら、

「結婚ってなあに?」と聞かれた。

息子「僕はママと結婚するの?それともNちゃん(←妹)と結婚するの?」

私「違うよー、ママとI君は親子だし、Nちゃんとはきょうだいだから、生まれたときから家族でしょ?だから結婚しなくてもずーっと家族でいられるんだ。でも、家族以外の人で、この人のことが好きだなあ、ずっと一緒にいたいなって思ったら、その人と家族になれるんだよ。でも一度に一人の人としか結婚できないの。そういう決まりなの。」

と説明した。


息子はわかったようなわからないような顔をしつつ、「ぼくは誰と結婚するのかなあ?」と言う。

私「だれと結婚するんだろうねー?これからIくんはいろんな人と出会うから、まだわからないねえ。
それに絶対結婚しなきゃいけない!って決まりはないから、誰とも結婚しなくてもいいんだよ。」

息子「でもぼくは結婚したいなー、だって、たのしそうだから!」

私「そうかー、うん、結婚はとっても楽しいよ。Iくんもそういう人と出会えたらいいねえ。」

 

そんな話をした。

 

息子には、「結婚ってとっても楽しいよ」と言ったけれど、
もちろんこれは、「結婚相手としての相性が良い人と結婚すれば」という条件つきになるわけで、
結婚相手としての相性が悪い人と結婚してしまった場合は、それはそれはもうお互いにとって最悪な生活になるんだろうなー、と思う。たとえ、恋愛相手としては自慢の恋人だったとしても。


私は、10年前、夫との結婚が決まったときに感じた、
「え!あの「恋愛」とかいう超めんどうくさいやつ、もうやらなくていいの!?やったー!!」

という解放感は今でも忘れることができない。



前回も書いたのだけれど、若かりし日のわたしは、自己評価が低くて人からどう見られているかということを気にする呪いにかけられていたので、それはもう恋愛という恋愛がうまくいかなかった。


自己評価の低い人が異性に恋愛感情を抱こうものならそれはそれはもう面倒くさい。

 

 片思いのときは、終始、

「こんな私が受け入れてもらえるわけない・・」
「あの人は私のことをどう思っているのかしら・・」

みたいな感じだし、

 運よく意中の人と付き合えることになっても

「なんであの人はこんな私なんかと付き合ってくれてるんだろう・・」

「私のいったいどこを良いと思ってくれたんだろう・・」

なんていう、まさに考えてもしょうがないことばかりが脳内でループして、恋愛のたびに毎回もれなく廃人みたいになっていた。もう二度とあんな面倒な思いはしたくないわー、と単純に思う。


自己評価の低い人は、自分のことは基本的に嫌いだし、自分の考えというものを基本的に信じることができない。だから自己評価の低い人は、自分とは違うタイプの人により憧れを抱きがちなのだと思う。だから自分から好きになる人とはたいていうまくいかない。

 

・・というのは、私が最高に自己評価が低かった時期から、たくさんの時間を経たからわかることであって、その渦中にいた若いころは


「どうして私が自分から好きになる人とはたいていうまくいかないんだろうか・・」
「きっと私、恋愛では幸せになれないんだわ・・」

 

なんて真剣に悩んでいた。(今思えば、何も「恋愛面で幸せになる」ことを目指す必要なんて全くなかったのだ、と思うけれど。)

 

結婚して、「恋愛というものについて悩まなくてよくなった」ということは私にとって重要なことだったなと思う。

 


恋愛と結婚は、全く別のものであると思う。
恋愛において、相手のことを想ってどきどきしたりするのはとても美しい現象ではあるけれど、それが日常茶飯事だったらなかなかしんどい。
一日中恋愛のことばかりを考えていられるのならそれもいいけれど、毎日やらなくてはならないことが色々あるわけで、一緒に住んでいて毎日寝食を共にしている人と顔を合わせるたびにどきどきしていたら大変すぎて生活が成り立たない。

結婚相手に求める事項として、刺激や高揚感より、金銭感覚の一致や、一緒にいて疲れないかどうか、などの方がずっと重要であると思う。

私と夫は恋愛から始まって夫婦になったし、いまも勿論夫のことが大好きだけど、それは今は恋愛としての「好き」ではないし、そうであることを本当にうれしく思っている。

 
恋愛に限らず、友人関係でもそうだけれど、無理をしない関係は自然に長続きする。
異性とのあいだにある「無理しない関係」を法的に取り決めたものが、結婚、なのかなあと今は思う。


「無理をしない」というのもいろいろな解釈があるけれど、
相手を大事にする気持ちや、相手に対する配慮は持ったうえで、
自分が自然に振るまって、自分の考えている本音の部分を包み隠さず素直に伝えて、それでも関係が破綻しない人となら結婚しても大丈夫、ということになるんでしょうかね。

 

というわけで、まとめると、


・恋愛はとにかくいろいろ大変だけど、結婚すると恋愛に終止符を打てるので良い
・結婚相手に求める事項は恋愛に求めるものとは全然ちがう
・結婚相手としての相性が良い人と結婚すれば結婚は楽しいけれど、そうでない場合は最悪であろう

という具合です。もちろんこれは私個人の考えですので、人によっていろんな結婚観があるのだと思います。

お付き合いいただき、ありがとうございます。
これからも夫のことを尊重して、よい夫婦でいられるよう、がんばっていきたいと思います。

それではまた!

「ありのままの私なんて絶対に嫌われるから本音を言うなんて出来そうもない」と思っていたあの日の私に伝えたいこと

この前片付けをしていたら、20歳~23歳くらいの頃に私が書いていた日記が出てきたんですけどね。

日記、といっても毎日書いていたわけではなくて、思いついたときに思いついたことを書き殴ってあるようなものなんですけど。

それを読み返して、ああ、若かりし頃の私は、毎日よくもこんなに暇さえあれば自己嫌悪に陥っていたなー、というのを思い出したので、思うところを書きたいと思うわけです。

もしかしたら、これを見てくださっているお若い人(いるのかな?わかりませんけれど)に、何か伝わることがあるかも?と信じて・・笑

若かりし頃の私はどんなだったか

若かりし頃の私は、とにかく、人に嫌われるのが怖かったんですね。

どうしてかというと、当時の私ときたら、基本的に自分のことしか考えていなかったから。社会の仕組みより、友人のことより、家族のことより、圧倒的に自分のことしか考えられなかったのです。

で、こんなに自分のことしか考えられない人間が、人に好かれるだろうか?いや、そんなわけがないだろうね!!という意識があったためか、若かりしの頃のわたしは、とにかく自分の本当に思っていることを隠そうとしていました。

こんな最低な私が最低であることを隠蔽しなくては!
とにかく自分をいい人に見せなきゃ、そうじゃなきゃだれも友達になってくれるわけない!
みたいな謎の呪いにかかっていました。笑


人の恋愛を心配するふりをしてみたり、人の悩みに耳を傾けるふりをしてみたり…
結局考えていたのは、圧倒的に自分のことばかりだったというのにね…。

わたしってどういう風にほかの人の目に映ってるんだろう?
って、真面目に勉強もせずそればーっかり考えてました。

 

そして今ならわかる。当時の私が、なにを本当に恐れていて、何を言って欲しかったのか。

 

というわけで唐突ですが、
当時の私にお手紙を書きたいと思います!(え?)

 

20歳の私に手紙を書いてみる

20歳の私へ。

 

こんにちは、元気にしてる?

私は未来のあなただよ!
あなたが書いている日記を見せてもらって、少し思うところがあってお手紙を書こうと思う次第です。

なんかあなたは、自分のことがあんまり好きじゃないみたいだね?
あなたは、こんなに自分勝手な私、最低!って基本的に毎日思ってるみたいだけど、そこまで最低!ってわけでもないと思うよ、ってことを伝えたくてこれを書いてます。

あなたは、「他の人のことをもっと考えられる人になりたい」って思ってるんだよね?
あと、「自分の考えてることを、もっと包み隠さずに話したりできる人になりたい」って思ってるんだよね?
でもそう出来ない自分が嫌いなんだよね?

私思うんだけど、
他の人に言いたくないことは、無理に人に話さなくていいと思うんだよね。あなたの感情は、あなただけのものだから、あなたの心の中にしまっておいたっていいんだよ。

ただね、懸念すべきところは、そこじゃないんだよ。
思ってることを人に言うかどうか、そんなことはどっちでもいいの。

こんなことを言ったらあなたは驚くかもしれないけど、
他の人のことは、まずいったん脇に置いてみて。考えないことにしてみて。

大丈夫。あなたが思っているほど、周りはあなたの事気にしてないから。
それに、仮に色々言ってくる人がいたとしても、そういう人たちが何かあなたの責任取ってくれると思う?

あなたは自分のことしか考えていないくせに、あなた自身のことを大切にする、ということに関しては全く何をどうしたらいいかわかっていないようなので言うけど、


あなたは、自分の気持ちをもっと大事にしていいんだよ!

他の人にどう思われるか、じゃなくて、
あなたの中にある本音が、「どうして、そういう考えになるんだろう?」っていうことの方を中心に、もっと時間をかけて考えてみて。
それが「自己分析」だよ。

そうすればあなたは、あなた自身のことをもっと深く知ることができて、あなた自身ともっと仲良しになれるから。自分の人生を生きるために、まずはそこからだよ。

健闘をお祈りするよ、がんばれ!


35歳の私より。

 

おわりに

いかがだったでしょうか?

(何がだ!って言われそうですけれど)

なんというか、過去を振り返る、って、何となく後ろ向きなイメージがありますよね?

過去は変えられないし、実際、こんな手紙をもし本当に若かりし日の私に読ませたところで、何か行動が変わるとも思えません。笑

でも私は、過去を振り返るのは時には必要なことだと思っています。

昔の自分にはわからなかったことで、今ならどうしたらいいかわかること、
昔の自分にできなかったことで、今の自分にはできることや、

逆に昔の自分にできていて、今の自分にはできないことや、
昔も今も変わらない部分、
昔も今もやっぱり足りていないもの、

そういうことを整理するという意味でも、過去を振り返ってみるというのはたまには良いものです。
というわけで、気持ちの整理のためにも、昔の自分にお手紙を書くというのは、なかなかおすすめなので、よかったらお試しください。笑

 

それではまた!

現実逃避してしまう時の対処法

ゴールデンウィークも終わり、今週からまた通常営業という方も多いかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

さて本日は「現実逃避してしまう時の対処法」について考えたいと思います。

 

皆様の生活の中には「やりたくないけどやらなくてはならないこと」というのはどのくらいあるでしょうか?
人それぞれかとは思いますが、そういう気の進まないことをやるとき、

 

あーやりたくないなー
もう少し遊んでからやろう…

 

となってしまうのが「現実逃避」ですね。
こういう風に先延ばしをすることなく、どんなことにもぱっと着手できたら、すごく時間を有効に使えますよね!

 

というわけで、私の思う対処法は、以下の通りです。

 

①そもそも、どうして現実逃避したくなってしまうのかを考える
②やらなくていいことはしない

 

は?それのどこが対処法なの!?真面目に答えてよ!とお思いでしょうか。
ごめんなさい。
一つずつ解説しますので、もう少しお付き合いください…。

 

①そもそも、どうして現実逃避したくなってしまうのかを考える

こう言っては元も子もないのですが、私は現実逃避することはそこまで悪いこととは思っていません。

現実逃避したくなる、ということは、それだけ現実があなたにとって辛いということ。

どちらかというと、逃げてしまうことが問題、なのではなくて
何故逃げたくなっちゃうくらい自分を追い詰めて、辛くなってしまうのか?

の方が問題なのだと思っています。

ここから先は仮説ですが、
いつも私ってば現実から目を背けてばっかりで…って悩みがちな人は、

「現実から逃げちゃだめ!」
「ちゃんと現実を見て生きなきゃダメでしょ、なんなのいっつも夢みたいなこと考えて!バカなの自分?」

というように、心の中で自分を必要以上に責めすぎてるのではないか、という気がします。

そういう人は理想が高く、もっとちゃんとしていたいのにそう出来ない私、を忌み嫌っています。
言い換えれば、自分のキャパシティに対して、多くを求めすぎています。

 

なぜそう言い切れるのか、というと…
私がそうだからです。

 

私が「何だか現実がしんどい」「現実逃避したいー!」となるのはいつもこのパターンなので、早めにこの症状に気づいてあげようと思っています。
高すぎる目標を設定していたり、無理な理想を掲げることは、自分で自分を追い詰めることとなり、精神的に良くありません。

まあ、それは私の話ですが…

 

言いたいことは、「現実逃避したくなるほど何がしんどいのか、原因に自分で気づいてあげて、それを取り除いてあげるのは大事だよねー!」ということです。

②やらなくていいことはしない

そしてもう一つは、「あなたがやらなくてはならないと思っていることは、本当に全部あなたがやらなくてはならないことなのか」

ということを見直してみる、という対処法です。

現実逃避したくなるということは、それだけ疲れているということ。
やらなくて良いことは、極力やらないことにしちゃいましょう。
得意な人にやってもらうことが出来るならそれも良し、お金を払ってプロに頼めるならお金で解決しても良いでしょう。

 

おわりに

現実から逃げたいということはつまり何かに疲れているということ。
そうか、わたし、疲れていたんだな、と労ってあげましょう。
現実逃避は人生の休憩時間。時には必要なものです。
英気を養ったら、また次の一歩を勇気を出して進みましょうね!

 

それではまた!

汚れるということは、美しく生まれ変わるチャンスを得るということだ

5歳の息子は、夜寝るとき、まだ紙パンツを履いて寝ている。眠りながら排尿しても全然気付かないし、おねしょは本人のコントロールでどうにかなる問題ではないと思うし、こちらとしても毎晩布団を汚されるよりは、紙パンツを履いててもらった方が安心だし。というわけでそうなっている。親としてはまあ、小学生くらいまでに少しずつおねしょしなくなれば良いんじゃないの、くらいに考えている。

 

だがしかし、昨日の夜、寝る前にいつものように紙パンツを出そうと思ったら、息子の紙パンツが1枚も見当たらない。ストックが切れていた。困った。

 

試しに、娘(3歳)の紙パンツを履かせようと試みたが、息子はそれを、断固として拒否した。

息子がいつも夜履いている紙パンツは、「夜用紙パンツ」というもので、昼間の排泄は問題ないけど、夜はまだ不安なんですー、という子向けの物。

一方娘が履いているのは通常タイプの紙パンツ。

こちらから見れば同じ紙パンツだが、妹の紙パンツは「まだトイレで排泄できない、いかにも小さい子がはくやつ」という風に息子の目には映るらしい。それを履くのは彼のプライドが許さないらしい。

 

で、どうしたかというと、息子は普通に布のパンツで寝る、ということを選択した。 

 

そして案の定、大量のおねしょをした。

 

ほーら、それ見たことか!と思ったけど、まあ、そうなってしまったものは仕方ない。

派手にぐしょぐしょに濡れた布団を、無理やり洗濯機に押し込んで、かなりしっかり洗った。

天気が悪かったので、布団乾燥機を引っ張り出してきて、丸2時間、熱風でしっかりと乾かした。

結果、息子の布団は、とても清潔な状態に生まれ変わり、ふかふかになった。

 

我が家では、ふつう、布団を丸洗いするなんてことは滅多にない。

せいぜい部分洗いするか、晴れた日に外に干す程度。

 

それが息子が派手におねしょしたおかげで、他のどの布団よりも清潔になった。

 

前振りが長くなったけど、

わたしは、このことに密かに静かに感動したのである。

 

汚れるということは、その後、美しく生まれ変わるチャンスを得るということ、なんだな。と。

 

なんだろう?これ、ちょっとした人生の教訓なんじゃないの?

 

息子の布団が、一度派手に汚れることで、思いもよらなかった、生まれ変わりのチャンスを得たように、

人生においても、何かに失敗することやつまづく事で、大きく成長するチャンスを得ることってありますよね。

だから、失敗を恐れて挑戦しないのは良くないのだ。どんどん汚れていこう。

 

息子よ、母に大切な気づきをもたらしてくれてありがとうね…。

 

ちなみに息子は、今日はいつも通り紙パンツを着用して寝ています。

 

え?汚れることが大事って話じゃなかったのか、って?

 

いや、だって毎晩おねしょされても、洗うの大変だしね…。